伊達の黒船と徳川の黒船

yukkiです。

黒船のメンバーの安否確認が取れて少しホッとするも、
これからどうやっていくんだろう。
それに、後回し後回ししていると復活ができなくなってしまうのでは、
今ここで動き出して流れを作らないといけないのでは。

という話を石巻中央の方に避難してきたメンバーの一人、
のぞみさんと話をしていました。
彼女自身も同じ気持ちみたいだけれど、
メンバーはそう思えない人もいる、でも一人でも叩くと
でも、どうしたら良いのか。みんなと叩かなければ黒船太鼓では無い。

本当にその気持ちは痛い程解りました。

震災後に交流を持った、静岡県伊東市の大川さんと
黒船太鼓の話をしていたら、ふいに

「あ、もしかしたら伊東に黒船繋がりで呼べるかもしれない」

始めは全く訳が解らなかったのですが、
聞いてみると、静岡県の伊東市では「按針祭」という
祭りを毎年8月にしているとのこと。
按針とは、江戸時代初期のイギリス人 ウィリアム・アダムス
帰化し、三浦按針という侍になった。
その按針が洋式帆船 サン・ブエナ・ベントゥーラ号を現在の伊東市で造った。

同じ時期に外交権を得た伊達政宗の家臣、支倉常長が
現在の雄勝でガレオン船 サン・ファン・バウティスタ号を造り
メキシコを経由してスペイン、セビーリャに着港し、
バチカンで洗礼を受けている。

一節には、ベントゥーラ号の船員とスペインで会い、
サンファン号に乗って来たという説もあるらしい。


「俺、祭りを動かした経験無いけれど、ちょっと相談してみる」

と、大川さん。

数日後

「なんか、復興支援という形で招待できるかもしれない」

そこで、黒船太鼓を伊東に呼ぶ計画が進められていきました。
その事を、のぞみさんに話をして、
始めは信じてもらえない感じだったけれど
僕が言うのならと、信じてくれ大川さんを紹介しました。

代表代行の神山さんと連絡がついたので、話てみるけれど、
意外な言葉が返ってきて驚いた。

「俺、やっぱり叩けない」

落ち込む気持ちは重々によくわかるけれど、今動かなきゃ。
のぞみさんも必死に何度も説得してくれて、
しぶしぶだけれど、夏の按針祭に黒船太鼓が参加することは
ゴーサインは出た。
けれど、神山さんは行くかどうかはまだ決められないと
言っている。けれど言っている声が震えているのも知っていた。


つづく。