震災後に初めて鳴らした音
震災後に黒船太鼓のメンバーと再会出来たのは、
5月に入ってからでした。それまでは安否も知らずにいたので
気が気ではありませんでした。
東京駅へ出荷予定だった雄勝石が津波をかぶりながらも
8割が無事で出荷が出来る。
そういうことのテレビ取材で雄勝入りしてでのことでした。
ただ、いつも練習していた公民館、
何度も足を運び公演した伝統産業会館、
そして街の全てが破壊されていたのは、衝撃でした。
僕自身も石巻の門脇、南浜町、湊が近くにあり
色々な惨状を目の当たりにしていましたが
慣れるものではなく、新たに行く場所でペタリと膝をついて
しまいます。
そんな彼らは、自分の生活していたすべての環境が
一瞬にして消え去って、どう未来を見たらいいのか、
そういう思いが表情から読み取れました。
太鼓も、衣装も全て。
太鼓を叩くことも、今は考えられないという代表代行の神山さん。
テレビの方が演奏してくださるんですよねと
訪ねてきてみんなビックリ。
どうやら、今ここで腰を上げなければ伝統は潰える、
そして伝統の太鼓にこそ地域の人が希望を持てるのではと
気を効かせてくれたのが、父でした。
太鼓も何も無いので、瓦礫の中にメンバーと僕で
探しにいきました。
5月に入ってからでした。それまでは安否も知らずにいたので
気が気ではありませんでした。
東京駅へ出荷予定だった雄勝石が津波をかぶりながらも
8割が無事で出荷が出来る。
そういうことのテレビ取材で雄勝入りしてでのことでした。
ただ、いつも練習していた公民館、
何度も足を運び公演した伝統産業会館、
そして街の全てが破壊されていたのは、衝撃でした。
僕自身も石巻の門脇、南浜町、湊が近くにあり
色々な惨状を目の当たりにしていましたが
慣れるものではなく、新たに行く場所でペタリと膝をついて
しまいます。
そんな彼らは、自分の生活していたすべての環境が
一瞬にして消え去って、どう未来を見たらいいのか、
そういう思いが表情から読み取れました。
太鼓も、衣装も全て。
太鼓を叩くことも、今は考えられないという代表代行の神山さん。
テレビの方が演奏してくださるんですよねと
訪ねてきてみんなビックリ。
どうやら、今ここで腰を上げなければ伝統は潰える、
そして伝統の太鼓にこそ地域の人が希望を持てるのではと
気を効かせてくれたのが、父でした。
太鼓も何も無いので、瓦礫の中にメンバーと僕で
探しにいきました。
瓦礫の中から何とか太鼓を見つけだしました。
革はもちろん海水を吸ってブヨブヨ。
だけれど、太鼓を見つけ、担ぎ出しているメンバーの
目に光る何かがありました。
太鼓を打ち鳴らすと、物などを探しに来ていた
地元の人、ボランティアに来ていた人達が集まってきました。
鳴らした後にメンバーの目も少し光が戻ってきているように
感じました。
つづく。